すべての宗教の基盤は愛です。そして愛は大霊の一側面です。バイブルにも愛は摂理の成就であると述べられています。その愛のしるしは、全宇宙を支配している自然法則の完ぺきさに表れております。完ぺきだからこそ宇宙全体が平衡状態を保っているのです。原因と結果の法則が数学的正確さをもって働いていており、一人ひとりのいかなる行為にも公正無比の判断が下されるようになっております。
宗教心とは、あなたがたのいう神、私のいう大霊へ近づくための心掛けのことです。が、神というも大霊というも、しょせんは言語を超越したものを表現するための粗末な符号にすぎません。大霊に近づくための行為、絆の強化、霊力の流入の実感、その結果として生まれる調和、内的輝き、静寂、平穏、泰然自若、それが宗教です。 そうしたものを生み出さないようでは本当の宗教とはいえません。大霊とのつながりの自覚です。地上生活でそうしたつながりを自覚した時、それは内部の神性に目覚めたことになります。それはますます大きな発現を求めるようになり、誰に対しても分け隔てなく愛と慈しみの心を向けるようになります。愛と慈しみは神の属性であり、神に似せて作られた人間のすべてが発現すべきものなのです。 私なりの表現をさせていただけば、宗教とはサービス(奉仕)です。これはもう何度くり返したか分からないほど、何度も申し上げています。サービス(奉仕)に優る宗教はありません。サービスは霊の通貨です。分け隔てなく、すべての人に、愛と慈しみの心で臨むことができれば、あなたは最高の意味において”宗教的な”人間であると言えます。最高の神性を顕現しているからです。 元来はそれが全宗教の基盤であらねばならないのです。ところが不幸にしてその基盤が厖大な神学と教条主義と人工の理屈の下に埋もれてしまいました。大霊とは何の関係もないものばかりです。そうしたガラクタをきれいに取り払ってごらんなさい。すべての宗教に共通した基本的な霊的真理が顔をのぞかせます。自他の違いを言い争っているのは、神学的教義と信条の世界です。私に言わせれば、そんなものはどうでもよいことです。 大切なのは、私たちだけでなく、あなた方人間もみんな、もともとは霊的存在であるということです。大霊の分霊なのです。だからこそお互いが助け合えるし、お互いが愛し合えるのです。同時に、この地球を共有している動物に対しても慈しみの心を向けないといけません。そうすれば、この宇宙の大機構の中において、それぞれの役割を果たすことができるのです。それを一人ひとりが努力することによって、この地上も少しずつ天国となっていくのです。 『シルバーバーチ最後の啓示』 |